
目次
著者の経歴
岡田悠(おかだ・ゆう)
1988年生まれ。ライター兼会社員。有給休暇取得率100%。
そのすべてを旅行にツッコミ、訪れた国は70カ国、日本は全都道府県踏破。
Webメディアでエッセイを執筆し、旅行記を中心に絶大な人気を博す。
岡田悠著『0メートルの旅――日常を引き剥がす16の物語』(2020年12月15日出版、ダイヤモンド・グラフィック)より引用

今まで友だちにだけ見せていた旅行記をnoteに書いたところ、多くの反響があり出版につながったそうです!
岡田悠さんのnoteはこちらから!!
概要
Podcastでこの本の編集を担当したダイヤモンド社の今野良介が話していたことを参考に書く。
コンセプト
コロナ以前のコンセプトは、「どこに行くかが旅じゃない。どう楽しむかが旅だ。」にしていたが
コロナが流行り、自粛ムードになったためコンセプトを変更。
実際のコンセプトは「遠くに行くことだけが旅じゃない。」になったようです。
中身
距離にとらわれない旅の魔力を感じられるような本になっていて、
構成がですね、南極から始まってアフリカ大陸から中東、アジアを経て
日本に入ってきて徐々に距離を縮めていって、最後は自分の部屋から0メートルの
自分の部屋の中でする旅で終わる。
コロナ禍の今、なぜ旅の本なのか?「日常の中に非日常を見出す楽しさ」を知って欲しい(ZAKUBIZ、Apple Podcast)から引用

他の旅行記と一線を画すのは、自分の部屋でも旅を見出すところ!
エアロバイクとグーグルマップを連動させて日本一周した様子が書かれています!
気付かされたこと
気付かされたこと
- 旅とはなにか。
- 旅の魅力は距離に比例するのか。
- 旅は目的地ではなく過程が重要。
旅とはなにか。
「旅」とはなにか。
ここ二年で一番考えた問いだった。きっかけは、一昨年の夏、ヒッチハイクで東京から関空に向かう道中、最初に乗せてくれたトラックのおっちゃんと談笑してる時のこと。
「ヒッチハイクでどこに行くんだい?」
「関空に行きます」
すると、トラックのおっちゃんは驚いた顔で
「へぇ〜?何しにいくの?」
と尋ねた。
おそらく、金がないからヒッチハイクしているはずなのに、金無し学生が飛行場を行くと聞いて驚いたんだろう。
「東南アジアと中国を陸路だけで旅してきます!」
このことを他人に話すと大抵の人は「へぇ〜!すごいね!頑張って!」とか「お〜!勇気あるね〜」のような驚きと声援を送ってくれる。
だけど、このおじさんだけは違った。
あんなに気さくに話してたのに、急に顔を曇らせ少し困った顔をしている。
「海外か〜。どうして海外に行くんだい?日本なら言葉も通じるし、美味しいものもたくさんあるのに。」
「・・・・・」
あまりにも予想外の返答にうまく答えられない。
しかも、なぜか妙に納得してしまう自分もいた。
確かに、大抵の国は日本よりお金がかかるし、多大な時間を要するし、日本語は通じないし、治安も悪い。
莫大なお金と時間を使って、自ら不便さを求めるなんて、「バカなのか。俺。」とまで思える。
そこで考える。
わざわざ、海外を旅する意味ってなんだろう?国内じゃダメなの?
ん?待てよ。
極論を言うならば、家でYou Tubeを見れば無料で体力も使わずに十分に楽しめるし、母親の料理は常に美味しい。
確かに、国内旅行は海外旅行より手軽だけど、家でYou Tube観るよりお金も時間もかかる。
だけど、沖縄県を除く46都道府県を踏破した僕は国内旅行も好きだし、今後もしたいと思っている。
あれ??
ここで1つの疑問が生まれた。
「どうして僕は旅に取り憑かれているのだろう?」
それを考える上で、まず「旅とはなにか」を知る必要がある。
なので僕は、ここ2年ずっと考えてきた。
今回、『0メートルの旅――日常を引き剥がす16の物語』を読み、この問いのヒントを得たので記録しておく。
旅を辞書で引くと、「定まった地を離れて、ひととき他の場所へゆくこと」と書かれている。
定まった地とは、きっと日常そのものだ。日常は安心で、快適で、大切な僕らの基盤である。
だけど予定通りの毎日を繰り返していくうちに、だんだんとその存在が曖昧になっていく。
日常が身体にべったりと張りついて、当たり前になって、記憶にすら残らない時がただ過ぎ去っていく。
旅とは、そういう定まった日常を引き剥がして、どこか違う瞬間へと自分を連れていくこと。そしてより鮮明になった日常へと、また回帰していくこと。
岡田悠著『0メートルの旅――日常を引き剥がす16の物語』(2020年12月15日出版、ダイヤモンド・グラフィック社)より引用
かなりの納得感。
「家に帰るまでが遠足」ってよく言われるけど、「日常に回帰するまでが旅」というのも浸透してはいいのでは。
旅の魅力は距離に比例するのか。
この問いも文章中に書かれており、僕が高校時代に考えていた問いでもある。
高校一年のお盆休み、同じ部活の仲間と青春18切符を使い約17時間かけて東京から今治まで移動した。
行き帰り両方とも鈍行列車だったので、2泊3日の旅の大半は移動時間。
移動中、僕が網棚にリュックを置き忘れ、真夏の3日間を服一枚でしのいだり
瀬戸内しまなみ海道を低スペックなママチャリで突っ走った思い出は楽しかった。
だけど、一つ心残りなことがあった。
「移動時間がもったいなくないか?
移動時間を使ってもっと面白いことできるんじゃないのか?」と。
今治を選んだ理由は、遠くてあまり行かなそうだから。
遠ければ遠いほど魅力的なところだと盲信していた。
高校2年の夏、大阪に行きたい仲間を説得し、静岡県を旅した。
富士でラフティングしたり、伊豆のきれいな海で泳いだりと自分の知らない世界を感じられた。
そこで気づいた。やっぱり、距離の長さで旅の面白さは変わらないと。
頭の中でそう思っていたけれど、これまでうまく言語化が出来なかった。
だけど、この本を読んで「なるほど!これが言いたかったんだ!」と感じたのでメモ。
たとえ地球の裏側に行こうと、通り過ぎるだけの景色もある。ふらりと出かけた散歩で、忘れられない景色もある。
その違いは、何が起こるかよりも、どう受け入れるかにあった。どこに行くかよりも、どう接するかにあった。何を消費するかではなく、何を創るかにあった。
岡田悠著『0メートルの旅――日常を引き剥がす16の物語』(2020年12月15日出版、ダイヤモンド・グラフィック社)より引用
また、岡田悠さんは巻末に以下のように書いている。
移動距離によって旅の性質は変わりうる。それは事実だ。だがそれでも、距離に制約されることなく、旅への渇きを満たせたらいいのに。そういう願いを込めながら、本書を書いた。
岡田悠著『0メートルの旅――日常を引き剥がす16の物語』(2020年12月15日出版、ダイヤモンド・グラフィック社)より引用
旅とは目的ではなく、過程にある
「旅とは目的ではなく、過程にある」
これは多くの人が旅をする上で見落としていることではないだろうか。
先日、彼女と北海道を旅行している際にそう改めて感じた。
レストランで昼食を食べる際に、彼女がご当地ビールを注文。
普段お酒を飲まない彼女は、「このビールはフルーティーで美味しい!」と絶賛。
気持ちよくビールを飲み進め、店をあとにした。
異変が起こったのは店を出て15分後。
気分が悪いと、近くのトイレに駆け込む。
結局、その日は宿に帰ることになった。
帰る道中、彼女は「せっかくの旅行を台無しにしてごめんね。」と謝り続ける。
そのたびに僕は「なんだか旅らしくていいじゃん。」と返す。
ハプニングってその時は処理することで頭いっぱい大変だけど、予定不調和な感じがしていいよね。
しかも将来、二人で旅を振り返る時に笑い話になること多いし。
そう、下の文を読んで回想。
旅の目的地には何もなかったのだ。だが重要なのは過程だった。
岡田悠著『0メートルの旅――日常を引き剥がす16の物語』(2020年12月15日出版、ダイヤモンド・グラフィック社)より引用
あの時こういうふうに言語化出来ていたら、彼女もその場で納得できたのかな。
確かに「旅らしさ」って何?ってなるもんな。
自分オリジナルの0メートル旅を決意
日本にある世界のレストランを怖いもの見たさでデートでよく行くんです。(タイとインドが多め)
なので、この本を機に日本で196カ国を制覇してみようと思います!
行った国は白地図に書いて記録してこのブログに書きます!!
